【小樽】パロマ工業(名古屋市)のガス湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故で、一九八五年一月に札幌市内で亡くなり、パロマ側の発表で全国最初の犠牲者とされる中崎誠さん=当時(29)=の母ミヨさん(79)=小樽市=を一日、同社の幹部二人が訪ね、謝罪した。事故から二十二年十カ月たって、初めて同社関係者が誠さんの遺族と対面、謝罪した。
同日午後、伊藤美樹夫総務部長らがミヨさん宅を訪れ、訪問後、伊藤部長は北海道新聞の取材に対し、「お悔やみを申し上げたいという一心で来た。もっと早く来るべきだったが、お参りさせていただいた」と語った。また、ミヨさんは「遠路はるばる来ていただいた。気持ちの整理ができた。パロマには、もう二度と悲劇を繰り返さないようにしてほしい」と話した。
昨夏、パロマの事件が表面化し、「遺族に謝罪して回る」と報道されたことから、ミヨさんは同社からの連絡を待ってきた。何の連絡もなかったが、前社長らの書類送検から十二日たった十月二十四日、名古屋の本社から「連絡をせず申し訳なかった」という趣旨の手紙が届いた。ミヨさんは訪問を受け入れることにし、手紙を仏壇に供えて待っていた。道内の遺族らは昨年十二月、同社に損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こしたがミヨさんは訴訟には参加しないとしている。
同日午後、伊藤美樹夫総務部長らがミヨさん宅を訪れ、訪問後、伊藤部長は北海道新聞の取材に対し、「お悔やみを申し上げたいという一心で来た。もっと早く来るべきだったが、お参りさせていただいた」と語った。また、ミヨさんは「遠路はるばる来ていただいた。気持ちの整理ができた。パロマには、もう二度と悲劇を繰り返さないようにしてほしい」と話した。
昨夏、パロマの事件が表面化し、「遺族に謝罪して回る」と報道されたことから、ミヨさんは同社からの連絡を待ってきた。何の連絡もなかったが、前社長らの書類送検から十二日たった十月二十四日、名古屋の本社から「連絡をせず申し訳なかった」という趣旨の手紙が届いた。ミヨさんは訪問を受け入れることにし、手紙を仏壇に供えて待っていた。道内の遺族らは昨年十二月、同社に損害賠償を求める訴訟を札幌地裁に起こしたがミヨさんは訴訟には参加しないとしている。
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